屈強な威光を放ち、見据えているのはただ一点のみ。
只管なその眼差しには、何が映っている?
肩を並べたら、自分にも同じものが見えるのだろうか。
政の行く末?国土の理想?
・・・それとも─────
* * * * *
江北の地、許昌。
突如再編した妲己軍の襲来で、曹魏の居宮には殺伐とした雰囲気が漂っていた。
目まぐるしく展開される指令。それを受け、軍需品の準備に駆ける軍士や伝達兵に、身を粉にして行き交いをする女官。
平素から和らぐことのない緊張が、嫌でも伝わってくる。
それらの動向を目の端で捉えながら、三成は長く伸びる回廊を進む足を速めた。
行き着く先は、外殿腹部に位置する執務の間。
そこで曹丕や司馬懿が策を企図しているはずだ。
当の三成とて、ただ物見遊山でうろついているわけではない。主立って都督の采配に助力し、財務管理をも任されている。
だからこうして、先刻出来上がった軍資金の見積書を手に、、房室まで足を運んだのだ。
三成は右に拳をつくり、扉を叩こうと振り翳す。
が、不意にその手を宙で止めた。
(やけに静かだな)
軍議の最中であろうというのに、話し声が全く聞こえてこない。
ここにはいないのだろうか。
一瞬そうも思ったが、すぐに自身で否定した。
確かに、人の気配はするのだ。
妙な予感を覚え、三成はそっと、扉を押し開けて目を凝らした。
中央の書卓を囲み、曹丕と司馬懿、それと数人の将官が地図を広げている。
司馬懿がしきりに曹丕に話しかけているようだが、声を潜めているせいかよく聞き取れない。読唇術、とは流石にいかず、三成は耳を傾けた。
「・・・・・・・・・・本当に、それでよろしいのですか」
「ああ、構わん」
「・・・分かりました。では予定通り、石田殿を信長軍へ引き渡しましょう」
愕然とした。
(俺が、信長様のところへ、だと・・・?)
どういうことだ、と今すぐにでも問いただしたかったが、何故か声が出ない。房室の中では淡々と軍議が進められている。
まるでこの決定が、さも瑣末であるかのようだ。
(俺の意思は、そこにはないのか)
いや、それよりも。
曹丕は、自分を─────
その先を考えるのが憚れ、三成は断ち切るように踵を返した。一寸開けた隙間をそのままにし、その場を去る。
駆けるように、速く、速く。
しかし、擦れ違う者たちは目に入れる暇もないのか、自分には気付きもしない。
それが余計、三成を不安に駆り立てた。
(俺は、ここにいられなくなったのか?)
まだ戦いは、始まったばかりだというのに。
自分は、必要ではないのだろうか。
信長、もとい秀吉の下へと送り帰すほどに。
(─────俺は、曹丕の…足手まといなのか?)
それは確信に近かったが、尋ねる勇気はなかった。
騒然とした回廊の中心で独り佇み、三成は花頭窓越しに群星を仰ぐ。
そうだ、と。
顔色一つ変えずに返答する曹丕の姿が、浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
彼にとっては、自分もあの星々の中の一片なのかもしれない。
翌日の朝議には、自身を奮い立たせることで何とか出席した。
一睡もしていない心身は気だるく、枷をされているかのように足は重い。
(・・・・・告げられるとすれば、今日)
昨夜もあれから顔を合わせることが辛く、それっきり閨の戸を閉めていた。
だが、それではだめだ、と。
任された以上、役目は果たさなければいけない。せめて渡しそびれた見積書だけでも、曹丕に見せなければ。
(そうでなければ、俺は本当に役立たずになってしまう)
武官側に参列する三成は、上座に立つ曹丕を見上げた。曹操が腰を沈める玉座、その傍らで、諸将に駐屯地の配置を説明している。
夏侯惇、張遼、曹仁。
次々と名が挙げられていく中で、三成は出納が細記された木簡を握り締めた。
(さあ、早く話せ)
自分は、信長軍の下へ、と。
たった一言を待つ時間が、やけに長く感じられる。
「三成殿。もしやご気分が優れないのでは?」
俯いて目を瞑る姿を、不審に思ったのだろう。
囁かれた声に面を上げると、張郃が心配そうな様子で顔を覗き込んでいた。
「些か血色が悪いようですね。美しい顔が台無しですよ?」
三成は乾いた笑いを洩らし、いや大丈夫だと、返答するために口を開きかけた。
「─────三成。先程から貴様は、人の話を聞いているのか」
遮られたその声に、三成ははっとして上座を向いた。 眉を寄せている曹丕と、視線が噛み合う。
「うわの空のように見えるのだが」
低い声音には、静かな怒気がはらんでいた。
曹操も、そなたらしくないな、と怪訝そうな表情を見せる。
(・・・・・それは─────)
何と答えればいい?
追い出されることを盗み聞いて、それで気落ちしている、と?
まさか。
そのようなこと、口に出せるわけがない。
では、何を。
何を言えば。
言葉が見つからずどうしようもできないまま、三成は唇を噛み締めた。
そんな姿を見て、反発しているとでも受け取ったのか。あるいは、黙り込む自分に対して苛立ちを覚えたのかもしれない。
曹丕は舌打ちすると、冷ややかな目を三成に向けた。
「頭を冷やして来い。使えぬ者は、我が曹魏にはいらぬ」
非道い、とは思わなかった。
曹丕が正論しか唱えないことは知っていたし、三成が自失していたのも確かなのだから。
ただ、その強い叱責だけが胸に重くのしかかり、面差しに暗澹とした翳を落とした。
(先んじて知っていたとはいえ・・・流石に面と向かって言われるとこたえるな)
動揺している張郃の胸に木簡を押しつけると、三成はざわつく議場を後にした。
−壱−