叢雲は、前触れもなくやってくる。
「─────雨か・・・」
バラバラと雫に打たれ騒ぎ始めた軒の音に、自室で書物を広げていた三成は、格子窓へと目をやった。
先刻までの好天が嘘のように、日の光が鈍色に染まっている。
たち込める雨の独特の匂いに、何故だか胸がざわついた。
雨粒を見ていると、彷彿とさせられる。
(そうだ・・・曹丕は)
杞憂だと知りながらも、姿を求めずにはいられなかった。
「─────ここにいたのか」
中庭の隅、冴えた青に染まった紫陽花の前。
そこで彼は佇んでいた。
先刻よりも激しさを増した雨粒が、傘を持たない三成の頬を冷たく打つ。空気は霧のようにぼんやりと霞んでいる。
しかし雨音でかき消されてしまったのか、自分の声に彼は反応しない。
「・・・何かあったのか、曹丕」
もう一度問いかけると、漸く彼は首を少しだけこちらへもたげた。
背からだらりと垂れた紺碧の外套は、随分と濡れてしまっていて、青みを一層増していた。
髪も烏羽色に光っている。
文帝の末期が、三成の脳裏を過ぎった。
「こんなところで雨に打たれていては、風邪をひくぞ」
またもや返答はない。
再び声が届かなかったのか、もしくは聞こえているのに聞き流されているだけなのか。
どちらにせよ、このまま一人にしておくことができなくて。
三成は彼の肩に手を伸ばす。
「曹──────────
──────────丕」
肩を掴んだはずの右手が、宙を掻く。
「・・・あ・・・・・」
確かに目の前にいた彼の姿は、どこにもなかった。
ただそこにあるのは、雨粒に打たれ、ゆらゆらと花弁を揺らす紺青の紫陽花だけ。
「・・・・・曹丕、知っているか」
ぽつり、と三成は言葉を零す。
「青い紫陽花は、忍耐強い愛を意味するらしい」
天を仰ぎ、降りかかる雨粒に目を細めた。
「だが俺は─────いつまでお前を待てばいいのだ」
叢雲は、時として人の心までもを翳らせる。