「皆様。今宵は私ども夫婦の為にお集まりいただき、心より感謝申し上げます」

「ってなわけで、俺と大喬の結婚生活一周年を祝って、かんぱーい!!!」
 
  異常に陽気な孫策の音頭に合わせ、何百という盃が歓声と共に掲げられた。
 孫呉の都、建業にて今まさに催されているのは、長子孫策とその妻大喬の、契円満の祝賀である。

「…何故私がこのようなくだらぬ会に出席せねばならぬのだ」
 
 歓喜と熱気で満ちた広間の隅で、曹丕は不服そうな面持ちで壁へ寄りかかっていた。

「だが一応、招客の書状は受け取ったのだろう」
 
 その隣で三成が、彼の祖国では珍かな慶賀の馳走を口に運んでいる。

「で、どうしてわざわざ俺まで連れて来たんだ?」
 
 三成の核心を突いた問いに、曹丕は口を噤んだ。


(本当に、貴様は無粋なことを聞く)
 
 

 つまらぬからに決まっている。
 お前が共にいなければ、何もかもが。
 
 

 日々は以前と何ら変わりないはずなのに。
 なぜだかは自分でも分からないが、彼と出会ってからはそう感じるようになっていた。

 なんてことをありのまま口にでもしたら、『熱でもあるのか』と気味悪がられるに違いない。
 勿論、言うつもりなんてさらさらないのだが。
 
 聞こえない振りをして、曹丕は適当に受け流すことにした。

「張遼や張郃でも遣わせばよかったか」

「それはちょっと歓迎され難いかもしれませんねぇ。『遼来々』ってね」

「─────貴様は」
 
 どうも、と近寄って来た凌統が軽く会釈をしてみせる。
 寡勢にて呉軍に深手を負わせた合肥の戦い以降、張遼は『泣く子も黙る』と言われるほど、呉人に畏怖されるようになっていた。しかし平時の彼は実に誠実で、決して残虐を好むような性ではない。
 良くも悪くも、噂の一人歩きとは恐ろしいものだ。

「大方貴様であろう、孫伯符に私を招くよう謀ったのは」

「あ、やっぱりばれてましたか。せっかくのいい機会なんで三国、特に俺のような第二世代同士の親交を深めようと思いまして。
ああ、関平やガラシャたちも招いているんですよ」

「…随分と『遠呂智ボケ』したものだな」

「えっ、何ですか?」

「いや」
 
 敵対国の祝賀に赴けば、必然的に貢物も贈らなければならない。本来ならばそれは、相手方への服従と見なされるだろう。
 だが今宵は公の形を取っているわけでもないし、孫策からの書状には『俺たち夫婦の為に建業に来てくれ☆』と、でかでかと記してあっただけであった。
 彼の言う通り、世の変遷を遠呂智が握る今、三国の天下争いなどは無意味なのかもしれない。

「しかしこんな状況下だというのに、よく宴など開く気になったな」
 
 解し得ない様子の三成が凌統に問うと、彼はさぞ面白そうに笑みを返してきた。

「いやぁ、ねぇ。小喬様が信長さんのところで、ねね殿から夫婦円満の秘訣を聞いたそうで。
なんでもそちらの世では、婚姻した日を迎える毎に、いかに妻というものが大切かを祝杯で夫に知らしめる慣習があるとか」

「それは単に秀吉様が女にだらしがな─────・・・いや、何でもない」
 
 折角の祝いの席。台無しにするような発言は控えようと思ったのだろう。
 珍しく空気を読んだ三成であった。

「幸せそうだな」 
 
 些か羨むような口調の三成の視線の先では、呉将に囲まれた孫策と大喬が蜀の賓客と歓談している。
 人柄として、この夫妻は憎まれることは殆んどないのかもしれない。耳に届く明るい笑い声が途絶えることはなかった。


「…孫伯符は周瑜とできているのだと思っていたが」
 
 
 おもむろな曹丕の独白に、三成と凌統が同時に噴出す。

「ごほっげほっ………なっ、ありえないですって!何考えてるんですか!!」
 
 むせる凌統には力一杯否定され、三成にまでも半ば呆れた溜め息を吐かれてしまう。
 曹丕は一層、眉間に皺を刻んだ。

「ならば凌統、そう言う貴様はどうだ。甘寧と久方ぶりに杯でも交わしながら─────」

「おっとあんなところに関平が。それじゃ、お二方。ごゆっくりー」

(─────逃げたな)
 
 雑踏に埋もれていく凌統の背を見送りながら、曹丕は壁に預けていた身体を起こした。

「そろそろ戻るぞ」
 
 おそらく夜半まで続くであろう酒宴を、羽目を外して楽しんでもらおうという配慮なのだろうか。宮城内には魏蜀の兵将をもてなす臥室が用意されていた。

「もう、いいのか」
 
 曹丕が三成に向き直り、肯定の仕種を見せた。

「十分であろう。祝言もここへ通される前に伝えてある」

「そうか・・・実を言うと、俺も少々息苦しく感じていたところだ」
 
 そう言いながら、三成は空になった器を卓子へ置いた。
 
 確かに、と曹丕は思う。
 自分たちのような渇いた、悪く言えば冷めた人間には、孫呉の快闊な空気は肌に合わない。特に気を使っているつもりはないのだが、妙に心労に応えるのだ。
 まるで相対する己の性を恨めしく思うかのような、自己嫌悪のように。





−壱−